Ola♪
前回までの『Pousada Dom Joao Ⅳ ポザーダ・ドン・ジョアン・クアルトのオバケ?』の話は・・・

深夜、奇妙な体験をしたケ組。その話をポザーダのフロント係にすると、あっさり認める。さらに、その出ると言われる女性の名前を教えてくれ、メモしたケ組。しかし日本に帰国すると、そのメモした地図だけが見当たらない・・・。これが前回までの『・・・オバケ?の話』

<ポザーダ・ドン・ジョアン・クアルト内の建物内のフレスコ画>
ポルトガル旅行記:Vila Vicosa ヴィラ・ヴィソーザ
目、目が・・・
帰国後、その”オバケ”の名前をポ人の友人・アルちゃん夫婦に連絡するはずも(彼女について調べてくれる段取りだった)肝心の名前をメモした地図が見当たらないケ組。その件を含めて連絡し、「ポザーダに訊くなりして調べておくれ」と頼んだケ。それから数日後、アルちゃんから連絡が有りました。それによると、ヴィラ・ヴィソーザのポザーダでデルと噂の女性の名前は『Balbina』と言う名前との事。探偵アルちゃん夫婦の調査によると・・・

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Balbinaは修道院の最後の女子修道院長で、既に亡くなっています。しかし、生前彼女の毎日の日課であった通り、今も修道院からブラガンサ公爵宮殿までの地下道を歩いていたり、修道院を掃除している姿が目撃されている・・・。ただ、それはあくまで噂であり、ポザーダの建物が古いので、木がきしんだりして音が出ているのでは?と言う人も・・・
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実はこの情報の後、ケもポザーダに「あの時のオバケの名前を教えて」とメールしていたのですが、返事として返って来たのもやはり『Balbina』でした。そこで、『Balbina』、『Pousada』、『Vila Vicosa』、『Fantasma』、『rumor』
等で検索するも、はっきりとした事は分からず・・・。

このポザーダは、1514年に当時の第4代ブラガンサ公爵であるD. Jaimeが彼の娘の為に建てた女子修道院 Real Convento das chagas de Cristo レアル・コンヴェント・ダス・シャガス・デ・クリストでした。代々暮らして来た修道女が、僧坊や礼拝堂を増築し、それが今のポザーダの原型となっています。修道院に描かれている数多くのフレスコ画は17世紀の作と言われています。最終的には1905年に最後の修道女(Balbinaでは無い模様)が亡くなった事で長い歴史を閉じました。Balbinaは、最後の修道院長との事なので、この頃の人だと思われます。その後、1996年にポザーダに改装され現在に至っているそうです。

と言う事で、『Balbina』に関する詳しい事は、ケのポ語力、検索力では解らずじまい・・・(冒頭の写真は、ポザーダ内のフレスコ画ですが、『Balbina』とは関係無いと思われます)。ただ、ポルトガルのポザーダの紹介t等のページを読むと、『Balbina』や『オバケ』と言った直接的な表現は無いものの、な~んとなくミステリアスな何かが起こるかも・・・と匂わす様な書き方をしているページが結構有る様な・・・。
『Balbina』に興味のある方!!調べてみてください・・・。そして教えて♪

    
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