Ola♪
Lisboa リスボン西部を走るリスボン市電25番線ぶらり途中下車の旅、今回の行先はエストレーラ大聖堂です。
<Basilica da Estrela エストレーラ大聖堂>

Lisboa リスボン西部を走るリスボン市電25番線ぶらり途中下車の旅、今回の行先はエストレーラ大聖堂です。
<Basilica da Estrela エストレーラ大聖堂>

エストレーラ大聖堂は2つの鐘楼と大きなドームを持つ、美しい聖堂と修道院です。

ブラジル王女だったマリアが1761年に待望の王子を授かったのを記念し、女王に即位後(1777年)の1779年に建設が始まり1790年に完成した白亜の大聖堂。

このマリア1世、調べてみると色々と興味深い人で。
1760年に25歳の時に結婚した相手は叔父(父の弟)にあたるペドロ3世(当時42歳)で、1777年に彼女の父親であるジョセ1世の死後に夫のペドロ3世と共同統治者として王女に即位しています。しかし、即位後の10年程の間に、まずは1781年に母親、そして1786年には夫のペドロ3世、1788年に息子のジョセフ王子、唯一生き残っていた娘のマリアナ王女を相次ぎ亡くし、さらに同時期のフランス革命によりマリー・アントワネットが処刑された事により精神に異常をきたしてしまったとか。そのため1792年以降は三男のジョアン王子が王子(後のジョアン6世)が統治を行っていたそうです。さらにはナポレオンに進軍によりポルトガル王室がブラジルに逃れたのが彼女が王女だった1807年。王宮から馬車でテージョ川に逃れる際にも状況を理解していなかったとか。そして1816年にブラジルで亡くなるのですが、ブラジルでは「狂女ドナ・マリア」と呼ばれているそうです。彼女は死後のポルトガル王室のポルトガル帰還の際に棺が自ら建てたこのエストレーラ大聖堂に移され埋葬されています。
そんな彼女ですが、ポルトガルでは「敬虔女王マリア」と呼ばれポルトガルで愛されている女王の一人だそうです。と言うのも、夫のペドロ3世とともに非常に信心深かったのに加え、宗教作品の後援にも力を入れていたり、激動のポルトガル王国末期を生き抜いたからでしょうか。そうそう、ヴェルサイユ様式のケルース宮殿の改修は夫ペドロの命で行い、その優雅な姿に彼女が大いに気に入りケルース宮を王宮にしたのだとか。

外観は後期バロック様式で建てられた2つの鐘楼とロココ様式の巨大なドーム。当初はシンプルな教会の予定でしたが前任の建築家の死後にこの精密で優雅な建物に設計が変更されたとの事です。
教会巡りにはそれほど強い興味はないケですが、中に入ってみてびっくり!

外観も優雅なのですが内部も、この荘厳な造り。教会内部は灰色、ピンク色、黄色の大理石が壁面と床に使われており、ヨーロッパでも美しい教会の1つに挙げられています。日本のポルトガル・ガイド本ではあまり扱いが大きくないエストレーラ大聖堂ですが、もっと大きく扱われてもよいのでは!と思います。

聖堂の正面、交差廊の右側にマリア1世の棺が安置されています。マリア1世はブラガンサ王朝の女王ですが、その中で唯一アルファマにあるブラガンサ王朝の霊廟サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会と修道院に埋葬されていない女王だとか。このエストレーラ大聖堂は彼女のための聖堂なのです。

聖堂の中で目を引くのがやはりこの頭上のドーム。

見上げると、この圧巻の美しさ!
このドームは登る事ができて、リスボン市街が一望出来るそうです。←しまった!よく下調べをしていけば良かった・・・

教会の内部は隅々まで精細な彫刻と色とりどりの大理石で装飾されています。
ロココ様式はパステルカラーの非対称のデザインとパターンを取り入れたバロック様式の一部ですが、その様式が内部でよく確認できます。

ちなみにこのエストレーラ大聖堂への入館料は無料でしたがドームへの登頂は有料の様です。

パイプオルガン

リスボン市電25番線、28番線に乗ったらリスボン西部まで足を延ばし、さらに途中下車してこの荘厳なエストレーラ大聖堂を是非見学してください。
参考になったぞ~と思った人は、ロシ
をポッチっと、ひと押し投票をお願いします。

とっても励みになるそうぞなロシ
それと、Facebook も見てね~。アフリカゾウの一家もいっぱい登場しています。

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ブラジル王女だったマリアが1761年に待望の王子を授かったのを記念し、女王に即位後(1777年)の1779年に建設が始まり1790年に完成した白亜の大聖堂。

このマリア1世、調べてみると色々と興味深い人で。
1760年に25歳の時に結婚した相手は叔父(父の弟)にあたるペドロ3世(当時42歳)で、1777年に彼女の父親であるジョセ1世の死後に夫のペドロ3世と共同統治者として王女に即位しています。しかし、即位後の10年程の間に、まずは1781年に母親、そして1786年には夫のペドロ3世、1788年に息子のジョセフ王子、唯一生き残っていた娘のマリアナ王女を相次ぎ亡くし、さらに同時期のフランス革命によりマリー・アントワネットが処刑された事により精神に異常をきたしてしまったとか。そのため1792年以降は三男のジョアン王子が王子(後のジョアン6世)が統治を行っていたそうです。さらにはナポレオンに進軍によりポルトガル王室がブラジルに逃れたのが彼女が王女だった1807年。王宮から馬車でテージョ川に逃れる際にも状況を理解していなかったとか。そして1816年にブラジルで亡くなるのですが、ブラジルでは「狂女ドナ・マリア」と呼ばれているそうです。彼女は死後のポルトガル王室のポルトガル帰還の際に棺が自ら建てたこのエストレーラ大聖堂に移され埋葬されています。
そんな彼女ですが、ポルトガルでは「敬虔女王マリア」と呼ばれポルトガルで愛されている女王の一人だそうです。と言うのも、夫のペドロ3世とともに非常に信心深かったのに加え、宗教作品の後援にも力を入れていたり、激動のポルトガル王国末期を生き抜いたからでしょうか。そうそう、ヴェルサイユ様式のケルース宮殿の改修は夫ペドロの命で行い、その優雅な姿に彼女が大いに気に入りケルース宮を王宮にしたのだとか。

外観は後期バロック様式で建てられた2つの鐘楼とロココ様式の巨大なドーム。当初はシンプルな教会の予定でしたが前任の建築家の死後にこの精密で優雅な建物に設計が変更されたとの事です。
教会巡りにはそれほど強い興味はないケですが、中に入ってみてびっくり!

外観も優雅なのですが内部も、この荘厳な造り。教会内部は灰色、ピンク色、黄色の大理石が壁面と床に使われており、ヨーロッパでも美しい教会の1つに挙げられています。日本のポルトガル・ガイド本ではあまり扱いが大きくないエストレーラ大聖堂ですが、もっと大きく扱われてもよいのでは!と思います。

聖堂の正面、交差廊の右側にマリア1世の棺が安置されています。マリア1世はブラガンサ王朝の女王ですが、その中で唯一アルファマにあるブラガンサ王朝の霊廟サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会と修道院に埋葬されていない女王だとか。このエストレーラ大聖堂は彼女のための聖堂なのです。

聖堂の中で目を引くのがやはりこの頭上のドーム。

見上げると、この圧巻の美しさ!
このドームは登る事ができて、リスボン市街が一望出来るそうです。←しまった!よく下調べをしていけば良かった・・・

教会の内部は隅々まで精細な彫刻と色とりどりの大理石で装飾されています。
ロココ様式はパステルカラーの非対称のデザインとパターンを取り入れたバロック様式の一部ですが、その様式が内部でよく確認できます。

ちなみにこのエストレーラ大聖堂への入館料は無料でしたがドームへの登頂は有料の様です。

パイプオルガン

リスボン市電25番線、28番線に乗ったらリスボン西部まで足を延ばし、さらに途中下車してこの荘厳なエストレーラ大聖堂を是非見学してください。
参考になったぞ~と思った人は、ロシ
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とっても励みになるそうぞなロシ

それと、Facebook も見てね~。アフリカゾウの一家もいっぱい登場しています。

Ola! Portugal ←『レトロな旅時間ポルトガルへ』の著者(補兼)カメラマンによるHP&ブログ
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